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致遠会の由来

誡子書(かいししょ)とは、子を誡(いまし)める書という意味で、諸葛亮孔明が子孫に残した家訓。
「寧静致遠」とは、その一節にある

「非澹泊無以明志、非寧静無以致遠」

から採ったもので

「私利私欲に溺れることなく無欲でなければ、大志を抱き続けることはできないし、
また、心安らかにじっくり構えなければ、大きな仕事は成し遂げられないものだ。」


という考えです。

公益性の高い社会福祉法人を経営するにあたり、法人の成長は職員の成長とともにあります。
地道に職員教育に取り組み、社会福祉事業を通して長崎の福祉の向上に貢献していきたい、という想いから致遠会と名付けられました。

基本理念


致遠館は慶応元年(1865年)、佐賀(鍋島)藩によって、長崎の五島町にあった諌早藩士の屋敷を改造し、英語教育を目的に開設されました。
校長にはフルベッキが招かれ、学監は副島種臣が、教師は大隈重信などが勤め、大隈重信はその経営にもあたりました。

後に大隈重信は早稲田大学を創立しますが、彼の教育理念の原点がここ長崎の地にあります。

全国各地から致遠館に学生が集まり、ここから日本の近代化に貢献した多くの人材が巣立っていったのです。